musakuroの「社会人になるときに知っておきたかったこと」

「もっと早くこんなこと知りたかったなぁ」と思うことを気の向くままに書いてます。

過去に戻れるか

 

久々に書く内容は「過去に戻れるか」です。

つまり自己コントロールがどれだけできるか!?という内容です。

 

人は、一度手にしたものや手入れた幸せに対して「それがありき」になってしまいます。これによってストレスや悲しみや怒り、妬みという負の感情を発生させてしまうのですが、これを自分でコントロールして、それを得る以前の自分に戻ることができるかということが、自己コントロールだなぁ。。。と感じます。

 

例えば、、、

独身で独り身だけど、時間を有意義に使って、友人と過ごす時間を謳歌し、欲しいものもそれなりに買うことができて「いやー、充実した生活だなぁ!!!」と思っていた時があるとして、この時点を「A」とします。

ある日素敵な人に出会って、どうしても付き合いたいと思うようになり、猛烈なアプローチの末に、その人とお付き合いできるようになりました。

それからの日々はとても楽しく、自分のことよりもその女性のことを第一に考えて、この人のいない生活など考えられない!という日々を過ごしていました。この時点を「B」とします。

 

ある日、そのお付き合いしている人の浮気が発覚して、別れることになりました。これまでの幸せな生活が嘘のように、悲しみ、憎しみ、孤独感で、「もう何もする気が起きない。。。」となったとします。

 

こうした経験は、様々な例で大なり小なりあると思います。例えば前述の男女関係だけでなくとも、今日は仕事が終わって意気揚々と会社を後にした際に、ぎりぎり電車に間に合わなくて損した気分になったり、赤の時間が長い信号につかまって「せっかく早く出れたのに。。。」と損したと感じてしまったり。。。

 

そんな時に、いかに自分を過去に戻せるかが自己の感情コントロールで大切だと感じます。

 

前述の男女の話であれば、Bの時点の自分に対して、

確かに幸せな時間を過ごせて、大切な人や幸せな時間を失ったかもしれないけど、Aの時点でも十分有意義で幸せだったじゃないか!得たからこそ、失った感情に失意することがあるかもしれないけど、そもそもそれを得ていないAの時点でも十分有意義だったはずだよね?

 

何かを得たばっかりに、Aの時点とBの時点を比較して、その間に得たものが無くなったことによって、過去のAの時点に戻っただけだと思えずに、それ以上の悲壮感に飲み込まれてしまう。

 

これはプロスペクト理論にもいわれるように、人は失うことに対する意識が強く働いてしまうことの弊害といえます。

 

こうしたことを自分でうまくコントロールできないと、何かを得るほどに、将来のストレスや、得たものを失ったときのダメージが増えていきます。逆に、Aの時点を軸に考えればAの時点からBの時点までに得られた経験はあくまでプラスアルファで、それを失ったとしてもAの時点よりマイナスになるわけではない。と考えることができれば、何かを得ることに対して「失う」ということで受けるダメージのリスクは軽減します。

 

何かある毎に悲劇のヒロインみたいになるのではなくて、それを得る前の過去の自分に戻っただけだと思って、いかに自分をコントロールして素早く未来へのリスタートをきれるかが大切だと思います。

 

失ったものばかり数えないで、

「いま自分にあるものはなんだ?」

それでも十分なんじゃないか!?

ということに気がつくことが自己コントロールには必要なことだと思います。

 

人は何かを失ったときに、現物、現実以上に損をした気分になり、その感情を長く持ってしまうものです。そんなつまらない時間を長く過ごすより、それを得る前の自分に戻っただけ!と思って、どんどんリセット&リスタートをしていきましょう!

失ったものに対して執拗にこだわってもいいことはないですから!