musakuroの「社会人になるときに知っておきたかったこと」

「もっと早くこんなこと知りたかったなぁ」と思うことを気の向くままに書いてます。

変化対応とアウフヘーベン

よく「変化対応」の重要性が問われることがありまあす。

 

変化に適応できなければ衰退していくというものです。

 

ここで重要なのは、

自分が考えている「必要な変化」の程度と、環境の変化から求められる「必要な変化の程度」がマッチングしているか!?

ということだと思います。

 

また、環境の変化の流れに適応するということだけではなく、意図的に変化させて新たなものを生み出さなければならない時もあります。

 

例えば、アウフヘーベンで考えると、あるテーゼとあるアンチテーゼが存在してる場合に、どちらも譲らず平行線だと議論は成立せず、対立を深めてしまいます。国家同士だと最終的には戦争に行きついてしまいますし、人間関係どうしだと決裂ということになりかねません。

 

ここでお互いが考えを柔軟に変化(工夫)することでジンテーゼが生み出されます。このジンテーゼは、新たな発想でありまた、落としどころでもあります。

 

日本で最も大きなアウフヘーベンは何だったんだろうと考えてみると、思い浮かぶのは明治維新薩長同盟だと思います。

 

そもそも長州と薩摩は犬猿の仲で、お互いを「ぶっ潰す!」と思っている関係でした。

 

現に、八月十日の政変では薩摩が長州を京から追い出し、その報復として長州は蛤御門の変を起こしています。その後、第一次長州征討でさらに返り討ちをするほどの犬猿度合いです。

 

その薩摩と長州が同盟を組むなど想像もできないようなことが起きます。薩摩と長州はお互いが自分たちの主張をテーゼ、相手の主張をアンチテーゼと思っていたことでしょう。それが幕府を倒して新政府を樹立するというジンテーゼによって同盟が成立しました。

 

新しい発想の出現に対して、双方が主張を変化対応させた結果だと思います。この時に変化対応ができなかったのが会津藩だと思います。

松平容保「義を以て倒るるも 不義に生きず。」という信念によって結果として多くの犠牲を生じています。

 

松平容保の主張が正しいか否かはわかりませんが、

「一見して正論と思える意見は変化対応の障壁になりえる」

ということは現代でも多くの事例があると感じます。

 

私見ですが、この松平容保の判断に対して、昭和天皇は同じ轍を踏まないようにしたのではないかと感じます。

「日本のいちばん長い日」という映画にもありますが、もし仮にポツダム宣言を受諾するか否かの議論の時に、昭和天皇が「義を以て倒るるも 不義に生きず。」と言って戦争を継続していたら日本はどうなっていたでしょうか。きっといまの日本とは大きく異なる状況になっていたと思います。

 

変化対応やアウフヘーベンを考える際に、改めて、

「一見正論と思える考えを疑うこと」

「マクロの波動による、受け入れが必要な変化対応の程度を外さないこと」

この2つが重要だと思いました。

今やていることで日本一を目指す

若手社員の退職理由に多いのが、「希望の部署に行けない」というものです。

 

入社して3年目くらいになると、こういった理由で退職をする人が増えてきます。

 

学生のうちに何かしら専門性の高い勉強をしていれば別ですが、学生の頃に身に付けた知識も乏しく、社会人になって自己研鑽に打ち込んでいないのに「希望の部署に行けないので退職します。」という人がとても多いと感じます。

 

「上手くいかないことを他人と環境のせいにする」典型だと思います。

 

「じゃあ、希望の部署にけるようになるためにどれだけの努力をしてきたの??」

 

と、聞きたくなります。どれだけの人と交渉をしたのか?

交渉をすれば当然、「君はどんなことができるの?」と聞かれます。その時に相手を唸らせるくらいのものがあれば希望の部署にも行けるでしょうが、そういったものはない。

だから希望の部署に行くための交渉もしない。これじゃあどこの会社に行っても希望の部署には入れないし、仮には入れたとしても大した活躍はできません。

 

とにかく隣の芝生が青く見えてしまう若手社会人には、

「まず目の前の与えられた仕事で日本一になってみろ。」といいたいです。

そういうことを言うと、仕事内容のことと捉えられがちですが、必ずしも仕事内容とは限りません。

 

例えば、毎日、何回も何回もしている「はい」「ありがとうございます」という返事をするという行為。これで日本一を目指そうとしている社会人がどれだけいるでしょうか。

 

たかが返事。されど返事です。

 

返事の仕方も「声のトーン」「表情」「目線」「タイミング」「間」「身振り」「フレーズの長さ」などなど様々な組み合わせで雲泥の差の印象を与えることになります。

 

この「はい」や「ありがとうございます」という返事の仕方で、真剣に日本一を目指してみてください。必ずいいことがありますし、未来の可能性が大きく変わります。

 

このように、まずすぐにできることを完璧なレベルで行うということができなければ、希望ばかり言っていても、なかなか自分の想い通りにはならないでしょう。

 

「下足番を命じられたら日本一の下足番になってみせろ そうすれば誰も 君を下足番にはしておかぬ。」

 

という、名言があります。

これは阪急グループ創設者の小林一三の言葉です。

今できることを真剣になって、必死に、日本一になれるように取り組む。

その上で、希望の部署に行きたいと宣言をすれば、いつかきっと希望の部署に行ける日が来るでしょう。

 

「はい」という返事ひとつも馬鹿にしないで、日本一を目指してそのレベルを高めるという姿勢を持ち、今できること、与えられていることを懸命にやる。それが、今のあなたがやるべきことです。

 

学生時代に特筆できるような知識や経験のない若手社会時もたくさんいるでしょう。そうした人たちが、社会人になってから自分の希望を勝ち取るには、こうした意識が不可欠です。

 

なにも難しいことではありません。

今すぐ、1秒後からできることです。

 

こうして自分で自分を律する「自律」ができる人が「自立」をできるようになるんだと思います。

 

「できるできない ではない。 やるかやらないかです。」

 

労働密度を高める

若手社員の研修をしている時によく話すことがあります。

 

入社して3年くらい経過すると、会社や仕事にも慣れ、緊張感がなく、学生の頃のようにダラダラとした態度の社員が増えてきます。

 

そんな社員がいる研修では、

 

「会社は、君たちが入社面接で表現していた姿勢や態度を基準にして採用しているのであって、今の君たちは入社面接の時のような返事もできないし、言葉遣いや、姿勢、服装、緊張感に至るまで退化している。本来であれば、面接の時よりも、返事や言葉遣いや歩く姿勢、座っているときの姿勢、緊張感のレベルが上がっていかなければならない。今の君たちの状態で入社面接を受けたら、間違いなく不採用になる。」

 

という風に伝えます。

慣れというのは怖いものです。

 

いくら仕事を覚えて、経験を積んでも、態度が退化していたら本末転倒です。仕事も覚え、経験値も上がった上で、そういったことのレベルを上げていくことをもっと意識してほしいものです。

 

そういう人たちは、とても時間を無駄にしてもったいないことをしているように感じます。

仕事に入るときはしっかり「仕事モード」に切り替えるという自己変換機能を持ち合わせていないということになるのでしょうが、この仕事モードに切り替えて、通常(日常)とは違うモードで仕事に取り組むことが、結果的に時間を立体的に活用でき、労働密度を向上させることになります。

 

時間を2次元的ではなく、3次元で捉えることで経験値の密度が高まります。そのためには、仕事中はしっかりモードを切り替え、背伸びをしてつま先歩きするようなイメージで緊張感をもって8時間の仕事に取り組まなければなりません。

 

「背伸びをして視野を広げているうちに背が伸びてしまうということもあり得る。

それが人生の面白さである。」

 

という言葉もあります。

 

学生は、困ってから本気出せば何とかなりますが、社会人は最初から本気を出すのがマナーです

出勤してから8時間、最初から本気モードで真剣に仕事に取り組むことが労働密度を高める重要なポイントです。

 

 

また、若手社員を見ていると、真面目な人が多いなぁ。。。

という印象も強く感じます。

 

学生の内は、真面目というのは誉め言葉かもしれませんが、社会人だと真面目という表現は誉め言葉でもなんでもありません。

 

「真面目=普通」 です。

 

社会人は、真面目なだけじゃ全然だめです。

「真剣さ」が必要です。

 

「真面目ではなく真剣にやれ。社会人には真剣さが必要だ。

真面目だけの社員は時としてズルさを感じる。」

 

という言葉もあります。

社会人において真面目というのはしょせんプラマイゼロレベルです。

真剣にやることが大事です。真剣にやると、時には失敗することもありますが、プラスの成果を出すことも多いです。真剣にやっていればそれがトータルで必ずプラスになります。

 

人間関係で波風立てないために真面目にやるのではなく、失敗を恐れず、真剣に仕事に取り組んで「暇なら波風立てに行く!」ぐらいの気概を持って、時間を有意義に、濃密に活用してもらいたいものです。

 

全ての人にとって平等に与えられているのは「時間」です。

この時間の使い方次第で労働密度は大きく変わります。それが習慣づいている人と、そうでない人の1年後の差は歴然です。

 

仕事に入る時は、しっかり自分なりの「仕事モード」に切り替えて臨みましょう。

 

 

 

目指せ一身二生

私の人生のテーマは「一身二生」です。

 

一身二生は読んで字のごとく、ひとつの身でふたつの人生を送るという考え方です。

 

人生百年時代なんて言われ、年金がもらえる年齢は上がり、もらえる額は減るであろうこのご時世では否が応でも一身二生にならざるをえないかもしれないのですが、やはりこういったことも意識をして、事前に準備をしてそうなるのか。それとも成り行きでそうなるのかは大きく異なると思う。

 

理想的な仕事の仕方としては、仕事をしながら定年後に独立できるノウハウを身に付けることです。仕事をしながら給与を得て、生活の糧にするということも大事ですが、もっと有意義に時間を使うために、「この仕事は、将来独立するための事業の役に立つのか!?」ということを強く意識して仕事をすることです。

そうすれば真剣に仕事をするようになり、会社のためにも、自分のためにもなるwinwinな働き方ができます。自身の仕事パフォーマンスも上って、ひいてはそれが会社のメリットにもなります。

 

そう考えると、仕事をして給料をもらいながら、将来の独立のための勉強や実験検証をさせてもらえているようでとても仕事が有意義になります。ただそのためには、自分のやりたいことと、会社がやりたいことをマッチングさせなければなりません。

 

そのためには転職といった手段もありますが、今いる会社で新規事業の提案や、自分の職域のシフトをするための交渉が必要になってきます。少しハードルの高いことですが、将来の自分のためになると思えば思い切って交渉に挑戦するべきだと思います。

 

私は、趣味が家庭菜園で、定年後の自給自足を目指して、およそ7年くらいやっていました。しかしだんだん家庭菜園では飽き足らなくなり、自分の所属している会社で新規事業の提案をし、自社農場を開設した経験があります。本来は、趣味で休日にやっていた菜園が、仕事時間に、しかも経費は会社持ちで、何百倍もの広さでできるようになり、とても充実した気分でした。

 

他にも、新規事業の提案をし、自分がプロジェクトリーダーとなって事業の立ち上げをしたこともあります。以前の記事で、「社会人は宣言したもん勝ち!」という内容をかいたことがありますが、まさにそういった経験を何度もしてきました。

 

今は、将来やりたいことが別のものにシフトしたので、会社を転職して将来やりたい事業に直結した仕事に就いています。

 

「会社勤務」と「定年後の独立」で一身二生を目指すべく、会社に勤めながら、定年後に独立して事業をする準備を進めています。

 

こうした考えで取り組むようになったきっかけは、伊能忠敬です。

 

伊能忠敬は、酒造家の家に婿入りをし、49歳まで勤め上げた後に単身で江戸に渡り、趣味であった天文学の弟子入りをしています。そして55歳から17年の歳月をかけて、全国を測量し、日本で初めて歩測により正確な日本地図を作り上げた人物です。

 

しっかりと家業を勤め上げ、定年後は趣味の天文学に没頭しているうちに、機会があり日本で初めての地図を作り上げるという偉業を成し遂げるさまは、まさに一身二生と言えます。

 

電車もPCも、もちろんドローンもない時代に、歩測と手計算、手書きで正確な地図を作るなんてことは、好きなことでなければできません。好きだけでもできないかもしれませんが、そこはやはり好きを超越した強い使命感を持っていたんだと思います。

 

少しでも年齢が若いうちに、この一身二生を目指して、有意義な前半の社会人人生を送ることが大事だと思います。

 

「国を支えて 国に頼らず。」という、福沢諭吉の言葉もあります。

 

ぜひ自分の定年後の人生が有意義で充実するような、前半の社会人人生を過ごしたいものです。

 

 

名言との出会い

わたしはある時ひとつの名言に出会ってから、名言集めをするようになりました。

 

よく聞く有名どころの名言ではなく、あまり耳にする機会がなく、かつ人生の指針になるようなものを集めている。

 

この集めた名言は「知っている」ではなく、しっかり「記憶する」状態にしていて、今ではおよそ180位になっています。

 

名言を記憶するようになってみて、仕事や人生において様々なシーンでその時々に必要な名言が思い出され、どれだけ勇気づけられたり、考え方を切り替えるきっかけになったかわからない。それだけでなく、仕事柄人前で話す機会が多いためこうした言葉を知っていることで非常に助かることが多くあります。

 

言葉には「言霊」という例えがあるように、いかにも魂が宿っているかのごとく、力を与えてくれる。平時にはただの言葉ですが、本当に必要な時に頭をよぎる際のその言葉は、まさに勇気を与えてくれ、またとても説得力のあるものに聞こえてきます。

 

皆さんも好きな言葉や座右の銘はあるのでしょうが、これは1つではなく何個でも持っているといいと思います。そしてしっかり記憶をするということが大事です。

 

大事に頭の中にしまっておくと、いざ必要な時に必ず助けてくれます。

 

私が集めている名言は180くらいですが、これをしっかり頭の中にしまっておくために、最低週1回、多い時は2日に1回くらいはPC上に書き出します。その際、思い出せない時はすぐに諦めずに、目を閉じて思い出すまでじっくり頭の中を探します。

 

海馬に記憶できていないようなものは、じっくり側頭葉から探し出して引っ張り出すような作業です。以前、「脳のエクササイズ」の記事でも書いたようなことですね。

 

こうして定期的に書き出すことで、いつでも引き出せる記憶として保存をしています。

 

話を元に戻して、名言集めをするきっかけとなった、最初の言葉を紹介します。

 

 

志を立てるためには 人と異なることを恐れてはならない。

 

世俗の意見に惑わされてもいけない。

 

死んだ後の業苦を思い煩うな。

 

また 目前の安楽は一時しのぎと知れ。

 

百年の時は一瞬に過ぎない。

 

君たちはどうか いたずらに時を過ごすことの無いように。

 

 

これは長州藩士である吉田松陰の名言です。

 

この言葉に出会い、どれだけ助けられたことか、どれだけ勇気づけられたことかわかりません。

 

「人生は短い。独立心をもって真剣に生きろ!」

 

そういわれている感じですね。

やはり真剣に生きた人の言葉は重みと深みがあります。

 

みなさんもぜひ自分にとって大事な言葉集めをしてみてください。

必ずやって良かった!と思える時が来ます。これは間違いないです。

 

 

 

本質的に考える

「本質的」ということはすごく奥が深く、追及が難しいものだと思います。

よく「本質的に考える」というフレーズを耳にしますが、そもそもその「本質」とは何なんだろう?と悩んでしまいます。

 

ただ、ヒントは日常にたくさんあるな。。。とも思います。

人というのは、置かれている状況や、気持ちの余裕次第で本質から外れることが多いんだなぁ。ということを多々感じます。

 

例えば、「見えてないものは気にならないのに、見えているものはすごく気になる」という点です。例えば、知り合いでもなんでもない人が大した仕事もしていないのに給料が高い場合、大して気にならないのに、自分の社内で身近な人が同じ状況にあるととても気になってしまうなんてことはないでしょうか。

 

例えば自分の上司や先輩で、大した仕事もしていないのに、必死に働いている自分よりも給料が高いと気になりませんか?ほかにも、同期や同僚が自分よりも先に昇格や昇給をしたら「なんであいつが」と気になったり、それがストレスになったりします。

ただ、世の中には自社で気になって仕方がない、仕事をしない上司や、先に出世していく同期、同僚の程度よりももっと程度のひどい人はたくさんいると思います。ですが、知らない人だと、誰がどんな役職になろうが、どんな仕事ぶりで自分より多い給料をもらっていようが気にもなりません。

 

知っている人だからこそ気になるってことありますよね。こういう場合、その悩みやストレスは本質的ではないと感じます。

 

知らない人なら気にならないのに、知っている人だから気になる。こうしたことを考えるとつくずく、悩みやストレスというのは自分で作っている生産物なんだなぁ。。。と感じます。こうしたことを気にしているといつの間にか、自分の意識する相手(競争相手)が自社の人ばかりになり、なんて小さなフィールドで生産性の悪い感情を働かせているのだろうと、自分に対してむなしくなることがあります。

 

知っている人だと気になって、知らない人が同じ状況下にあっても気にならないのであれば、本質的にその悩みやストレスは不毛だと思います。こうしたことをあえて意識的に無視する(戦略的シカト)ことができる能力が必要だと思います。

 

ちょっと話は変わりますが、例えば、自分のことに対して他人から批判や反論や影口をたたかれることがあったとします。それを正面から受け止めるとメンタルがやられて、自分はだめなんじゃないか。。。と落ち込んでいたら生き生きと仕事ができないし、悩んで憂鬱になってしまうと思います。

けどそんな時も気になるのは、批判や評論は他人のものであって、自分の精神まで侵害される筋合いはない。と思い込むことが大事な時もあります。

 

「行いは自分のもの 批判は他人のもの 俺の知ったことじゃない」

という勝海舟の言葉もあります。

 

どんなに他人に批判されようが、評論されようが、それによって自分の能力が低下するわけではないのです。その批判や評論にメンタルが打ち負かされたときに持っている能力も発揮できなくなってしまって、いかにも自分の能力が低下したような錯覚に飲み込まれることがあります。しかし、他人に何と言われようと、批判や評論によって自分の能力が低下することはありません。

 

どんな状況においても自分の気分をどう持つかで変わります。悩みは自分が生産する人工物です。同じことがあっても死にたいほど気になる人もいれば、あっけらかんと気にせずに笑い飛ばして常に前向きな人もいます。

表面的なことや、自分の置かれている環境下の状況に捉われすぎて、本質を見失い、本質的ではないことに一生懸命悩んだりストレスを抱えてしまうことが多くあります。

 

気になることが多い世の中ので、気にしない能力を高めることも必要なのだなぁ。。。と思います。

 

 

スペシャリストかマネジメンターかの選択

社会人になって20代の頃は張り切っていたけど、30代になって成功が鈍化してくすぶっている人が多い。

 

この手の人は能力がないわけではないが、一つの重要な選択ができていないことで目標を見失っているように思います。社会人になってある程度の経験を得たら、

 

スペシャリストになるか、マネジメンターになるかの選択をすることが重要

 

です。

 

この選択ができていないことによって、会社や組織の現実を知り、くすぶって燃費の悪い働き方になっている人が多くもったいないと感じます。

 

スペシャリストを目指すか、もしくはマネジメンターを目指すかの選択ができないことによって、ほんとはスペシャリストを目指すべき人が下手なマネジメンターになって時間を無駄に消費したり、マネジメンターになるべき人が、スペシャリストのような働き方を目指し、苦労のわりに報われていないことが多く見受けられます。

 

この選択を早い段階でできることによって、有意義に生き生きと仕事をできるようになります。どちらがいいということはありませんが、スペシャリストでいくと決めれば

 

「自分の研究開発によって会社を進化発展させるんだ!世の中に新しいトレンドを巻き起こすんだ!」

 

と仕事に没頭すればいいし、マネジメンターでいくときめたら、

 

「自分が頑張るだけでなく、みんなが頑張れる方法を考える」

 

ことをすればいいと思います。

 

この選択を間違えると、時間とやる気を無駄に消費してしまいます。

 

仕事にいきずまったら、もう一度、自分はスペシャリストになるのか、マネジメンターになるのか考えてみるといいと思います。